あかねいろ(42)「ラグビーは気持ちの勝負なんだよ」

 

 前半が終わりみんなが引き上げてくる。あまり僕にあれこれいう人はいない。試合は前半で僕たちがトライを2本リードしていた。FWを中心にした堅い攻めはしっかりと機能していた。石橋はそのまま試合に出ていたけれど、あまり存在感はなかった。後半になると石橋も控えの22番と交代した。

  後半の試合を僕は空っぽな心で見ていた。


  石橋のいない緑川は別のチームのようで、キーストーンの抜けた建物のように、なす術なく僕らにやられて行く。FWだけではなくて、バックスでも大いにゲインを繰り返していく。次々にトライが生まれて行く。僕のいないグラウンドで、素晴らしい試合が遂行されていた。僕にはそんな味方の試合が、無声映画のように映る。僕の周りから急にラグビーが引いて行く。強烈な引き潮が渦巻いて、宇宙の果てまで僕からラグビーを引き剥がして行く。僕は、その引き潮の中を無抵抗で漂っている。そうしているうちに、トースターからパンが焼き上がるように、ポンと何かが目の前に現れる。

 「君、今日のはダメだよ。正式に抗議するかもしれないから」 

緑川の監督が谷杉と一緒に歩いてきて、僕に話しかける。その横で谷杉が彼の肩を小さく3回ほどたたく。まあまあ、という感じに。年の功だろうか、谷杉の方が彼に対してはポジショニングが取れているように見えた。 

「谷杉さん、頼みますよ、本当に」

 緑川カラーの緑のジャージの監督はそれ以上僕の方を見ることも、声をかけることもなく歩いて行く。  

 僕は、すいませんも、申し訳ございません、も言えなかった。いや、物理的に言えなかった。なぜならば、僕はその瞬間、引き潮の渦の奥深くに飲み込まれてしまっていたから。



  ところが、その試合のあとのミーティングは、僕が思っていたことは違う言葉が谷杉の口から出た。 

「おい、今日のMVPは吉田だぞ。わかってるかお前ら。吉田が石橋をぶっ潰したから緑川をボコれたんだ。まあ、吉田はやりすぎだからしばらく謹慎だけどな」 

ガハハと谷杉はおおきな声で笑う。みんな、谷杉の顔を、町にひょっこり現れた猿を見るように見ている。 

「ラグビーはな、気持ちの勝負なんだよ。気持ちで負けている奴は絶対勝てない。石橋は、技術も体力も吉田よりずっとずっと上だ。だけど、あいつが本当に強いのは、絶対に誰にも負けない、という気持ちなんだよ。だからあいつは、強い奴とやればやるほど強くなる。そんなあいつに、吉田は、気持ちで上回ったんだよ。熱くなりすぎてぶっ飛ばしたり蹴ったり、まあ、これはいかんけど、相手を、トイメンを絶対潰す、やっつける、この気持ちで勝てないなら、ラグビーなんてやめてしまえばいい。強い相手に勝ちたければ、今日の吉田のような気持ちでみんなやるんだな。なあ深川、トイメンにスクラムで負けたらお前なんか死ぬしかないよな」

  僕はぐっと地面を見る。何を考えていいのかわからないけれど、何かが僕の胸にこみ上げてくる。熱くて、激しくて、でも優しくて、穏やかで、しなやかで、そんな何かが。でも、それが何か、僕にはわからない。その代わり、地面をじっと見ていると、涙で土の地面が濡れて行く。なんだかわからない、だけど、僕は宇宙の果てから引き戻される。やっぱりラグビーなんだよ、お前は、と何かが声をかける。

   しかし、谷杉は続けていう。 

「吉田。お前みたいな自分の感情をコントロールできない奴はラグビーには向いてない。しばらく自分を見つめなおせ。ボール使った練習は当面禁止だ」

 僕の心を見透かしたかのようなその声は、水面をようやく上がってきた僕の鼻面をひっぱたく。

inokichi`s work(ラグビーとライオンズと小説)

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