あかねいろ(60)”星野の彼女”の沙織が、試合にやってくる


 ベスト16をかけた2回戦は、定期戦で毎年戦っている杉川高校との対戦となった。ライバル校ではあるものの、夏の定期戦では僕らが勝利したように、今年は力の差があって、僕らが優勢なのは間違いないところで、気を抜かなければ大丈夫だろうという力関係だった。

  しかし、僕にとってはこの試合は別な意味で大事な試合になった。それは、星野が沙織を試合に連れてきたからだった。

  そのことは、当日の朝の移動の電車の中で聞かされた。僕らのようなレベルの学校だと、バスで移動なんていうのは滅多になくて、今日も試合前は電車移動。その電車の中で、4つ向こうの席にいた星野が、 「今日、彼女が見にくるんだ」 と小気味よく話しているのを聞いた。

  星野は僕にはそのことを言うつもりもなかったし、どちらかといえば伏せているように僕は感じた。けれども、わずか数メートル先の一太の「まじか!」と言う声があまりにも大きすぎた。



  僕は案の定、頭が熱くなる。いや、このことに対して僕が腹を立てると言うのは筋違いなのはわかっているけれど、それでも、グラウンドの横に沙織が立っている、その景色を思うと血の逆流を起こさずにはいられない。1年前は、彼女は僕のことを観にきたわけだ。それが、1年後は星野をみにくる。この事実に冷静でいらられるほど僕はまだ大人ではなかった。

  星野はまだ今のチームでは完全にレギュラーとは言えなくて、今日は同じポジションの先輩が少し足の具合が悪いと言うことで回ってきた一本目だった。そのことは、2日前の練習の時に決まったことだった。僕たちのチームでは、公式戦の2日前に、背番号ジャージが配られる。だから、星野もそこまでは、沙織を誘うことはできなかったはずだ。と言うことは、そこでジャージをもらい、そこから、明後日、自分が試合に出ることになったから観にきてほしいと誘ったと言うことだろう。そのストーリーは僕の気分を言いようもなくどんよりとさせる。言えば、先輩の不幸にかこつけて、自分をPRしているようにすら感じた。もちろん、その気持ちのほとんどは嫉妬によるものだなのだけれども。

  大体、僕と星野は小中高と一緒の学校ではあるけれど、概して関係はよろしくなかった。僕の方が今のラグビーでは一歩前に出ているが、自分の方が僕より運動では上だと思っている星野は、それが面白くない。そこに、沙織の一件なども加わり、正直僕は星野のことは少し避けていた。

  そんな状況に加わったこの出来事は、とにかく面白くなかった。

  絶対探すものかとその時は思ったのだけど、試合が始まる前、グラウンドに入ろうとする段階で、さっさと僕は沙織を見つけた。探さずにはいられなかった。練習中ずっと探していた。いつくるのかを星野に聞くわけにはいかないので、チラチラと会場校の校門の方を気にし続けていた。

  試合まであと10分程度と言うところで彼女はグラウンドの端っこの方にやってきた。星野も気付いてはいただろうけれど、話をしたりはできなかった。

  どうしてやろう。僕は思案する。

  この振り下ろしようのない気持ちをどこにぶつけてやろう。



   試合が始まると早速僕らは、お家芸となっているモールを中心に安定した試合を展開する。キックオフのボールをキャッチして、SOからボックスキックをあげる。そこにプレッシャーをかけてできた密集を軽くオーバーしてマイボールにすると、そこから早速星野がサイドを突く。僕には、どうにもその姿、目立ってやろう、と言うように見えるのだけど、流石にそんな余裕はないかもしれない。星野が捕まったところで、ボールはダウンボールされずにモールになる。相手もモールで押されることは予想しているので、モールを必死に崩そうと足元に刺さってくる。しかし、彼らの細い肩では100キロごえを三人揃える僕らは、微動ぐらいしかしない。

  しっかり受け止めた後は、まだ敵陣10m付近だと言うのにモールで走り出す。文字通り、モールだけど走っている。そのまま20mくらい進み、モールが崩れたところでペナルティをもらう。そのボールは短くサイドに蹴り出し後5mのところでラインアウトになる。

  相手はせってこないので楽にクリーンキャッチをする。その後は、先ほどと同じことの繰り返しで、彼らは単発で強く鋭くモールを崩しにくるのだけど、一人一人が頑張っても、モールを、8人で1つの生き物にしている僕らには太刀打ちできない。レフリーからかかる「ストップワン」の声が合図かのように、僕らは左へ、ゴールの真ん中の方へ押し始める。今度は、走ると言うよりもローリングする形で。そのまま雪崩打ってインゴールへグラウンディングする。右20mあたりのところに。

  この試合は、四捨五入すればこれと同じような流れがずっと続いた。杉川高校も、バックスの展開力は、そこまで強烈と言うことではないけれど、県代表候補などもいて、FWに比べれば見るところがあるので、この試合は相手の弱みを徹底的についていくことになっていた。

  僕は、そのような展開を、退屈と思わなくなるくらいに、メンタル的には成長していた。だから、きちんと自分の役割を認識し、特にモールやラックの力になるように接点での働きかけを積極的に取り組んでいた。


  試合は前半で5トライを僕らが取ったことで、概ね決していた。後半はその分少し外へ展開することも多くなり、大味な展開が続いた。なかなか相手もしっかりしたチームではあるので、簡単に外へ振っただけでトライまでいくようなことはなく、なんとなく締りのない展開が続いた。



  膠着した得点状況の中、後半の15分過ぎに、ハーフウエーの真ん中あたりでのスクラムから、左に三人並んだ僕たちは、スクラムハーフの小川さんがうまくボールを持ち出して、簡単に一人余った状態を作る。相手がターゲットを少し迷ったところを見透かして、僕が流れ気味のところからカットインをして、一気に裏に出る。相手のフランカーが絡んでくるが、それをハンドオフで退け、少し斜め左に向けて走る。僕の前には、少し右手から迫ってくるフルバックだけになっている。14番が後ろから追いかけてくるが、僕の方が速そうだ。

  フルバックを交わすのはそう問題なさそうに見えた。決して有力なプレイヤーという感じではない。ただ、背は大きい。手は長い。顔も大きい。勝負してもいいし、フォローを探してもいい、と思った。

  僕の後ろから誰かが大きな声をかける。「右だ右、右にはなせ」と叫んでいる。

  僕は軽く右を見る。厳密に言えば、耳だけで振り返る。星野の声だ。この時間No.8に入っていた星野が僕を一番早くフォローしている。

  この状況ならば、僕が相手のフルバックに少しずれてあたり、オフロードすることを前提に交わそうとすれば、間違いなく星野に渡せて、彼がトライまでボールを持っていくだろう。後22m、ゴールまでは誰もいない。これで、なんだかヤキモキした後半もスカッとするだろう。

  ラガーマンとしてちょっとは成長した僕には、選択の余地などない。しっかりトライに至るための最善のプレーをチョイスできる。頭でわかるし、それを行動にできる。


  が、そのパスの相手は星野だ。ここで星野にオフロードで繋げば、彼がトライをするだろう。それは、彼女を連れてきた星野にとっては、最高のアピールになるだろう。しかも、その相手は沙織だ。僕から取った(と勝手に僕が思っている)女の子を喜ばすために、僕は星野にアシストをする。

  プレー中だけど、僕の心に一時停止ボタンが作動する。

  星野にいい顔させたくない。その気持ちは、今日の朝、沙織が来ることを聞いてからずっと僕の中にあった。できるならばノックオンをすればいい。できるならば、ノータッチでタックルミスでもすればいい。相手のFWに吹っ飛ばされてしまえばいい。そんなことさえ思っていた。

  だのに。

  ここで、僕は星野にトライをアシストするのか。この事実に対して、僕の心は素直でいられない。僕だって今日はトライがない。試合の展開的にしょうがないとは言え、僕だって、できるならば沙織の前でいいところを見せたい。去年1度見にきてくれたときは、負け試合を見せてしまった。活躍もできなかった。今日は期せずして、僕にとってはそのリベンジの場になっているわけだ。


  星野には放らない。僕がフルバックを交わす。ハンドオフを念頭に僕はボールを左手にもつ。そう決める。


  が、その時、僕の左後ろから、相手の14番が迫ってくる。思ったよりも足が速かったか。僕はその影を感じる。明らかにもうすぐ追いつかれる。

  選択肢は無くなった。僕は一時停止ボタンを解除する。

  真っ直ぐに最短距離でフルバックに強く当たりながら、体は右に開く。星野はいいスピード、そして深さでフォローをしている。浅くなりすぎない走り方がうまい。僕は、左手でボールを持ち、フルバックの肩をお腹に受けながら、ボールを星野にゆるりと浮かす。

  そのボールを見て、星野はギアを変える。ぐっとスピードを上げてボールを受けた彼は、真っ直ぐインゴールへ走っていき、追いすがる相手の14番を最後はひきずりながらグラウンディングをする。  試合の趨勢は決まっていて、大した歓声もないけれど、僕には沙織の声が聞こえたような気がした。沙織はどこにいるのだろう、途中から僕は見失っていた。しかし、その姿を見出すよりも前に、僕の体に飛びついてきたのは星野だった。

  「吉田!ありがとう!」

 僕は驚く。立ち上がったところに不意を突かれた、というわけではない。星野のそんなリアクションは初めてだったからだ。

  「俺、公式戦初トライだぜ!お前のおかげだよ!ありがとう!!」

 星野はまくし立てる。

  ああ、僕はなんてドケチで狭量な人間なんだろう。

  星野だって、初の公式戦。レギュラーの先輩の代役で、彼女まで連れてきてしまった。緊張しているに決まっているのに。不安でいっぱいだっただろうに。なんで、少しだけ先にいくらか経験をしている僕が、彼のその不安やモヤモヤを理解してあげようとしなかったのだろう。女をとった取られたで、いつまでも根に持っている自分がものすごくちっぽけに思えた。

  でも、その気持ちはぐっと押し隠す。

  「ナイスフォロー。完璧だよ!」 

僕と星野はハイタッチをする。

  「吉田、いいオフロードだねー、ちゃんと放したねー」

 と、いつも持ち過ぎの傾向のある僕を小川さんが茶化す。



  結局その日はぼくは沙織とは話をしなかった。星野もほとんど話をしていなかったように思う。試合は杉川高校に圧勝した。星野のトライの後いっきに3トライを重ねて、9トライを取り、相手は0トライに抑えた。59対0というのは、僕らの高校と杉川高校の試合では過去最も点差がついた試合だった。

   チームの状態は確実によくなっているし、準備してきたことがしっかりできているという点で充実感もあった。雰囲気をもった状態で次はベスト8をかけて、同地区で近年力をつけてきていいる大沢南との対戦が1週間後に控えている。ただ、チームの力的には今年はうちのほうが強いだろうという前評判でもあったし、気持ちはどちらかというと、その次、ベスト8での廣川工業との試合に向いていた。帰りの電車の中では、沙織の話や話題はなくて、廣川工業との試合のことばかりが話題になっていた。

inokichi`s work(ラグビーとライオンズと小説)

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