あかねいろ(55)命をかけて、繋ぐ、めくる、タックルする


  4月になり2年生になると、僕たちは、例年のように部員獲得のための大キャンペーンを張る。うちの学校では、とにかくラグビー部の募集活動は、他の部を大いに凌駕する。それくらい頑張らないと、目立ちに目立たないと、ラグビーはまだまだ部活動として有力な選択肢とは言えない。何もしなければ、全国大会に行ったことがあるわけでもないラグビー部など、場合によっては誰も入らないかも知れない。

  僕たちは、概ねターゲットを2つに絞っている。1つは、とにかく体の大きい子。身長ならば180センチを超えるような。そして、運動できようができまいがどうでもいいので、100キロ近くはあるだろうという横に大きい子。フォワード陣が入学試験の合格発表時に、掲示板の前に張っていて、背の高い、あるいは、横に広いのが合格手続きに行ったら「おめでとう」の声をかけにいき(体格のいい高校生10人ぐらいに囲まれるので、彼らは大抵びっくりする)名前と中学校を聞く。この、中学校を聞くというのがとても大事で、その中学校の先輩がいないか、あるいは過去に先輩がいないかが大事な情報源になる。そして、下調べをできる限りして、入学式当日から彼らにアプローチをする。

  もう一つは、主に野球部とサッカー部に行こうとしている子達に狙いをつけ、その子たちを拉致してくるのがバックス陣の仕事になっている。野球部に行こうとしている1年生を捕まえて、ボールを持たせて、コンタクトダミーに当たらせて、僕らはそれでひっくり返って「お前は天才ラガーマンに違いない!必ずこの日にくるように!」と言って、強引に体験入部へ勧誘する。男子校だからか、意外とこんなノリで体験入部に来てくれる子が結構いる。


  体験入部に来ると、僕の時もそうだったけど、ラグビー部では、バンバンラグビーをやってもらう。パスもするし、ミニゲームまでしてもらう。ほとんどの子が初めてで、初めてラグビーボール持って、相手を抜き去ったりすると、意外と気持ちがいい。

  そんなこんなで、僕たちも入学式当日から、4月20日ぐらいまでは、とにかく勧誘モードで張り切った。その甲斐があり、仮入部の申し込みは40人を超えた。僕たちの時が30人弱だったので、倍近い。ここから幾らかは抜けるけれども、この調子ならば30名前後は確保できそうで、ラグビー部始まって以来、前代未聞の1学年30名ごえになりそうだった。3学年合わせると80人近くになり、ちょっとした強豪校の「部員数」だ。



  そんな彼らの歓迎会的な試合が今年も去年と同じ学校で行われる。去年は、僕はこの試合で初めて試合に出て、3トライを「取らせて」もらった。その試合が、今年の僕にとっては2ヶ月ぶりの復帰戦になった。

    よく晴れた春のグラウンドの匂いは、1年前とはまるで違ったものに感じる。初めてのラグビーの試合に心踊っていた無邪気な1年前の僕と、ラグビーにもまれ、彼女を作り、なくし、そしてラグビーで自分を失い、仲間を失いかけてきた。そうして巡ってきた1年後の今日の僕は、慄然とするくらいの別物だった。良いのか悪いのかはわからない。でも、1年前の僕は、はるか彼方、遠い向こうに霞んでいる。

  いうまでもなく僕は意気込んでいた。これまでで最高に意気込んでいた。石橋の件があり、不貞腐れ、高田の件があり、谷杉の言葉があり、そして、高田のお母さんの手紙が、今日の僕には折り重なっている。


    この試合だ。この試合が、僕の全部だ。


    僕は前の晩のベッドの中でこのフレーズを唱え続けていた。頭の中で、ボールをつなぐ。相手をめくる。そして、タックルする。だめだ。それじゃだめだ。そこに命はあるのか。僕はこの試合に、命をかけるんだ。いや、この試合で死んでいい。死んでも、ボールをつなごう、相手をめくろう、命をかけてタックルしよう。僕は何百回とそう唱える。



  10時過ぎに一本めの試合が始まる。僕らは、僕がセンターに復帰し、目立ったけが人もなくベストオーダーに近い。そして、廣川工業戦で砕かれた戦い方を、もう一度ここからリスタートする。この1ヶ月、とにかくフォワードはディフェンスを頑張ってきた。僕たちバックスが20人くらいでモールを組んで、フォワードはそれを5人で対応する、というようなことをずっとやってきた。オフェンスも同様に、8人で残りの20人くらいの相手を押す、ということを繰り返してきた。

  僕の時間は割と早くにやってきた。キックオフのボールを僕らの6番がイージーにノックオンをして、早速自陣10 メートルと22メートルの間、右寄りで相手ボールのスクラムになる。そのスクラムをゴリっと僕らのFWがプッシュをして、苦し紛れにボールがでる。相手の10番は12番にボールを渡すと、12番は僕の右側にカットイン気味に刺さってくる。しかし、僕の心は前の晩から沸騰している。そして、この程度のカットインに振られたりはしない。確信を持った右肩は、相手の膝の少し上に強烈に突き刺さる。僕はこの一瞬のために、この数ヶ月を生きてきた。この一瞬、このタックルで相手を殺すために生きてきた。その想いが燃え上がる。

  相手の12番はたまらずボールをこぼして吹っ飛んでいく。そのボールをハーフが抜け目なく拾い上げて、遠くにいる東田さんに大きく振る。東田さんはそのまま40mくらいを走って行ったところでわずかにタッチに出る。  外野からはその東田さんよりも、僕に向かって、なんとも表現できない声が飛ぶ。「うおー」というような感じのうねりが僕に注がれる。それは、僕のタックルへの驚きと賛辞が掛け合わされている。ラグビーとはそういうスポーツだ。走って抜いた人が偉いんじゃない。命をけてボールを奪う、タックルをする、その行為はどんなプレーよりも称賛される。

 「吉田!最高だ!」 

谷杉からも声が飛ぶ。

  僕は立ち上がりながら、相手の12番の手をとる。相手の12番は体も心も痛んでいるけど、それだけだ。ちょっとムッとしながら、こんなの大したことない、というように去っていく。

  ふむ。次もしばき倒してやるからな、と僕は心でその後ろ姿に声をかける。

  僕はアドレナリンがでまくった。とにかく、この試合ではポイント周りで相手をめくろう、剥がそう、それをずっとずっと頭の中でイメージしてきた。それが、今日の僕の生きる価値だと決めていた。今までは、持って走りたい、トライしたい、抜きたい、というのが僕のラグビーだった。でも、その思いは完全に封印してきた。代わりに、とにかく、つなぐ、めくる、タックする、これに命をかけた。


  その結果は激しいものだった。


  展開してからのポイントの周りに一番早く行けるのは、FWではなくてバックスだ。もともと僕は密集でも強さを発揮する方で、ジャッカルのための腕力もバランスもある。そして、なんと言ってもバックスらしくないインテンシティがある。そういう僕が、できた密集にいち早く行き、相手のバックスをスイープしまくったため、相手の展開攻撃は全く機能しなくなった。2回に1回くらいの頻度で僕らがターンオーバーをするようになり、そこから大きなゲインやトライが重なった。展開できなくて、無理にキックを上げると、FW戦では僕らの方にだいぶ部があり、試合は一方的になった。

  僕は、何も考えていなかった。とにかく、ポイントに対して、「死んでもいいんだ」と呟きながら突っ込んで行った。ボールを持って走ったのは多分2回。その2回はすぐに密集になったけれど、しっかりとスピーディーに次に展開されていった。  試合は前半だけで6トライの差がつき、僕は前半でお役御免になり、2本めのメンバーがグラウンドに散っていった。



  新入部員たちからは、やたらと「やばかったっす」と言われた。特に、ゴボウが2本ついて立っているようなヒョロヒョロで、足がやたら速いのと、とにかくよく喋るお調子者の仁田が僕につきまとっていて、すげえっす、すげえっす、と騒いでいる。


  僕は、ラグビー部に入ったのは1年前だけど、本当にラグビーを始めたのは、今日だと感じた。


  僕は今日、真っ白な新しいブリーフのパンツを履いていた。谷杉がいつも冗談めかして言ってた、ラグビーの試合に出る時は、今日死んでもいいように、新しいパンツを履け、という言葉を実践した。彼によれば、死んだ時にはパンツを脱がされるので、パンツが破けていたりしたらみっともないだろう、ということだった。くだらない話だと思っていたけど、この日以来僕は、大切な試合には必ず新しい真っ白いブリーフを履くようにした。バイト代のうち1万円を使い、ブリーフを20枚買った。

inokichi`s work(ラグビーとライオンズと小説)

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