あかねいろ(54)高田のお母さんからの手紙



 考えはまとまらなかった。結論なんて出もしなかった。でも、4月という響きは、何かを決めて、前に進めることを僕に強制させた。

  僕は、ラグビー部を辞めようと思うことを谷杉に告げようと決心した。決心と言うと格好いいけど、それしかないと言う気持ちに概ね傾いた、というような煮え切らない気持ちではあった。ただ、いつまでもこのままの状態ではいけない。新入生も入ってくる。しっかりと決めなければ。少なくとも、僕がポジティブにラグビーを続けるべきと言う明確な根拠や気持ちは持てなかった。



  相談があります、と谷杉に伝えると、次の日の昼休みに理科室に来い、と言われる。谷杉の担当科目は生物だったので、理科室は彼の部屋と言うような使われ方をしていた。

  僕はお弁当を前の休み時間に食べてしまい、昼は周りの人にはどこに行くとも言わずに理科室へ向かった。谷杉はすでに部屋にいて、教員用の机の椅子に座っている。僕に、椅子を持ってこい、と言う。

 「どうした。高田のことか」

 谷杉がズバリと切り出してくる。僕は出鼻を挫かれる。本当は、僕から言い出すことがあって、それをたくさん頭の中では練習してきた。戸惑っているうちに谷杉が続ける。

 「お前が高田のことを気にするのは当然だし、それはわかっている。俺だってお前の立場だったら気にしないで入られない」

 そこまで言って谷杉は少しだけ続きを躊躇う。

 「いや、お前のせいだよ。でも、それを言い出したら、何もできないだろう? 誰かが一生懸命やって、それが間違いを起こしてしまった。それによって、誰かが迷惑を被った。だから、その初めの誰かが悪いんだ、なんて誰も言えないよ。言ってもしょうがないことだよ。だから、高田のことを慮るのは当然だけど、それを引きずってしまうのは、彼のためにもならないと思うぞ」

 確かにその通りなのだが、谷杉の言葉は珍しく弱い。そんなことは分かっている。分かった上で僕はこうしてきているのだ。

 「先生、僕は高田に対して責任を感じるだけじゃなくて、僕の存在自体がこのチームにマイナスにしかなっていないんじゃないかと思うんです。それで、これから新しい部員も勧誘していくと言う時期になるので、どうしたらいいか、と思っています」 

僕はようやく踏ん切りをつけて切り出す。谷杉には意外だったように見え、少し唖然とした表情をする。 

「それはお前、部活辞めるってことか?」

 「まだ決めたわけではないんですけれど」

 その中途半端な僕の言葉に谷杉の顔色が少し変わる。

 「決めたわけではない?じゃあなんなんだ?」 

言葉に明確に怒気が加わる。僕は脈が早くなる。

 「高田のことからずっと、僕はラグビーに相応しくない人間なんじゃないか、と思っていました。みんながこんなに支えてくれているのに、僕はみんなに何もできていない。できていないどころか、対抗戦でも、石橋のことでも明らかに迷惑をかけているし、福田なんかと比べたら箸にも棒にもつかないし・・」 

そこまで話した時に、谷杉が椅子を払い退けて立ち上がり、机を脇によけて、僕の左の頬を平手で強烈に叩く。小柄といはえ、元ラガーマンの彼の平手打ちは皮を超え頬の骨に直接響いてくる。僕は身も心も怯み切る。 

「だからなんだ、だから」

 谷杉は僕の目の前に仁王立ちする。僕は混乱で頭の中で言葉が回り出す。ぐるぐるとぐるぐると。

 「あ、いや、だから辞めた方がいいかな、と思って・・」 

「辞めるのか」

 短く強く僕の心のぬるさを引き裂くように谷杉がいう。

 「本気か?」

 「本当に辞めるんだな?」 

「だったら、今この場で決めろ。お前が決めろ。俺の前で決めろ。」 

たたみかけてくる言葉に僕は土俵際まであっという間に押し込まれる。押されながらも必死に考える。何かを必死に考える。

 「お前、辞めることを相談しにきたのか?まさかだよな。そんなのは自分で決めろ。いつまでもぐたぐた考えずに、今ここで考えろ」

 僕は歯を食いしばる。歯を食いしばりながら、谷杉を睨む。やめてやる、こんな部活やめてやる、その言葉が喉元のちょっと手前までやってきてムズッとする。頭に血が逆流し、そして沸騰しかかる。右手はズボンの腿の辺りをぐっと握りしめる。



  でも、僕には言わないといけないことがある。ここでそれを投げ出すわけにはいかない。

 「先生に聞きたかったんです。僕は、僕みたいなのはラグビーをやっていていいのか、を」

  その言葉はまるで僕らしい、僕がよくやるノックオンのように、プレーを止める。そして、言葉だけが理科室の宙に浮かぶ。次のプレーまでには少し時間が必要になる。

  谷杉はゆっくりと机を直し、自分の席に戻る。 

「吉田、お前もすわれ」

 促されて僕は椅子に座る。座ってしまうと思いの外、沈黙が広がる。広い理科室の外からは昼休みらしいバカ騒ぎが聞こえてくる。谷杉は椅子に深くすわり足を投げ出す。

 「吉田、お前、高田にタックルをしたやつのことを考えたことがあるか?」

 僕は一瞬なんのことかわからなくなる。高田にタックル?誰だっけ。

 「ないよな。そうだと思うよ」

 「俺は昔、大学時代に人を殺したことがある。ラグビーでな」

 さっきまでのバカ騒ぎが急に聞こえなくなる。物音が遠ざかる。

 「もちろん、何か犯罪をしたわけじゃない。だけど、俺のタックルで頭を打って、それが原因で植物状態になり、最終的に数年後に亡くなったんだよ。バカなやつでな、どこかの弱い大学の素人で、大学に入ってからラグビーを始めたやつだった」

 「俺もラグビー辞めようと思ったよ。特に、そいつが死んじまったときは、もう辞めよう、やめて、毎日あいつの墓参りしよう、そう思った。それまでも病院には毎週のように行っていて、ご両親とも何度も話をしていて、その度に、親御さんたちは、あなたのせいではない、あなたには息子の分もラグビーを頑張ってほしい、テレビで見れるくらいになってほしい、と言われ続けた」

 「最後に本当に死んじまったとき、俺がラグビーをやめますと言った時、そこのお父さんが病室で俺のことをぶん殴ってきた。一発じゃない。何発も殴られた。お母さんが必死に止めてくれなきゃ、俺も死んでいたかもしれない」

 「でもな、そのあとその親父が俺に言ったんだよ。”お前が今ラグビーやめたら、こいつが死んだことはどうなるんだよ?こいつの思いを乗っけてラグビーできるのはお前しかいないんだよ。それをなんだよ、女みたいに泣き言ばかり言いやがって。お前こそ死んじまえばいいんだよ。こいつは最後までラグビーをやりたがっていた。俺にはそれがわかる。でもできない、その思いを受けてくれるのは、おまえしかいないんだろ。お前、前にそう言っていたよな。あれは嘘か。大体、お前は全然プレーヤーとしても活躍していない、大物にもなっていないじゃないか。全部嘘かよ。全部嘘だったのかよ、お前の話は。嘘じゃないと言うんだったら、お前こそ、死ぬ気になってプレーしろよ。息子の分もプレーしろよ。命かけろよ。明日死んでいい気持ちでプレーしてみろよ。それ以外、お前に息子のために何ができるんだよ” ってさ。言葉は正確じゃない、途中からお父さんは大泣きしながら話していて、多分そんなことだったと思う」 

僕の心の中で何かが動いている。熱い。体の内側が熱くなる。

 「死ぬ気になってプレーしろって、それだけはとにかく刺さったよ。それで、いつもお前らにも言ってるよな、大事な試合の前は真っ白な新品のパンツを履いて、今日死んでもいいようにと思って試合に出るようにしたんだよ。まあ、結局大したプレーヤーにもなれなかったけどな。だけど、彼の両親とは今でも年賀状をやりとしている。お父さんが病気で入院したときに見舞いに行ったら、まるで俺のことを息子のように喜んでくれた。俺は、その時、多分人生で初めてだぜ、お父さんの前で大泣きして、大泣きしてさ。俺は人前で泣いたことなんてないんだよ。ほとんど。でも、この時は、ダムが決壊したみたいに涙が止まらなかった。申し訳ない気持ちとか、嬉しい気持ちとか、許された気持ちとか、なんだかわからないけどな」

 僕は俯く。僕は涙もろすぎる。 

「お前がラグビーをやめたいならやめればいいさ。誰も止めないよ。ラグビーをやる資格? そんなのは誰にもわからない。ただただ、本気でラグビーやりたい、と思っているかどうかだけだろ。やめたい、どうしよう、なんてふらふら考えているような奴には確かに資格はないのかもな」

 谷杉はタバコを探す。しかし学校内ではタバコは吸えない。

 「でもな、お前が何かに迷っている、何かが引っかかっていてそんなふうに思うなら、決められないでいるなら、いいから死ぬ気でやれ。人間、体も動かさないで物思いばかりして、いい考えなんか浮かばない。迷っているなら、死ぬ気でやってみろよ。お前はまだまだラグビーに本気じゃない。お前の死ぬ気のプレーを見せてみろよ」

 僕は首を振る。その答えは、何に対してのNOなのか、谷杉にはわからない。でも、僕は体の内側から何かが出てきそうになって、それを必死に押さえながら、首を横に振り続ける。何かを強く強く否定する。言葉は何も出てこない。代わりに谷杉は机の中から何かを出しながら話をする。

 「いいか、何も言えないなら、迷っていると言うことだ。それならば、俺の言うとりに、プレーで死んでみろ。死ぬ気で相手にあたれ、死ぬ気で仲間を救え。死ぬ気で練習しろ。これは命令だ。今日からそうしろ」 

谷杉はそう言い切り、椅子から立ち上がる。現実世界に椅子が引かれる音が鈍く響く。

 「吉田、これは、高田のお母さんから、お前への手紙だ。この間の訪問に対しての返事だ」

 谷杉は机の引き出しから取り出した淡いブルーの封筒を机の上に置く。

 「しっかり読んでおけ」 




 「吉田くん、わざわざ病院まで来てくれてありがとう。


  亮太にも読んで聞かせておきました。きっと彼にもあなたの言葉が届いていると思います。


 亮太が初めて、センターというポジションで公式戦に出ることになったんだ、と言ってきたときは、とてもとても喜んでいました。そして、どう言う経緯で試合に出れるようになったのかも話してくれました。そのときに、いかに吉田くんがすごいプレーヤーかをこんこんと話していて、あなたが出れない時に、負けないくらいに頑張るんだ、とすごく意気込んでいました。吉田くんが戻ってきても、ポジションを争えるくらいになっていたい、と。

  私たちもとても嬉しかったです。どう言う形であれ、彼が頑張っている姿、陸上ではだいぶ意欲を失っていたので、その頑張っている姿がとても嬉しかったです。

  だから、今は亮太の回復を心から待つだけです。試合で起きたことは、もちろん私たちには言いようもなく辛いことだけど、だけど、誰のせいでもありません。タックルをした相手のお子様からも電話をいただきました。彼もとても悩んでいました。でも、絶対にラグビーだけは続けてね、と言いました。電話口で大泣きされていたのを覚えています。

  吉田くんは、私たちにとって、私と主人と亮太にとって、希望なんです。あなたがラグビー部でどんどん活躍していくことを、私たち3人は心から願っています。そして、亮太もいち早く回復して、吉田くんと、みんなと一緒にラグビーをしたいと思っています。その時を、ぜひ待っていてください」


inokichi`s work(ラグビーとライオンズと小説)

自分の中には、自分の言葉では表すことのできない自分がいる。でも僕は、その自分を抉り出し、その自分を白日の元に晒さなければならない。あるいはそれは僕自身を破滅に追い込むのかもしれない。しかし、あるいはそれは、世界を救うのかもしれない。 サイトのフォローをいただけると、とても嬉しいです。コメントをいただけると、真剣にお返事します。

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