あかねいろ(51)僕の中のおぞましい自分について

 

 中学3年生に恋をした。同級生のKさんに。

    恋をすること自体は初めてではない。

  小学生の時から、時々に誰かを好きになったりした。ただ、普通の思春期の感情として、それを持て余した。特に、僕は自分の見かけに対して、強い劣等感を持っていた。冷静に見れば、見栄えで特別なマイナス部分があるわけではなくて、目立ってカッコよくないという程度ではあるけれど、そうはついぞ思えなかった。顔が不細工だから誰からももてない、と思っていた。だから、Kさん以前に好きになった子にも、何か行動を起こすとか、誰かに話すとか、そういうことは一切しなかった。できなかった。いや、僕のような男には、そんな資格はない、してはいけないのだと思っていた。



  しかし、性への意識の強まりと共に、卒業まであと半年というところで好きになったKさんに対しては、思うだけではいたたまれなくなるくらい、どうしていいかわからないくらい、日々Kさんのことで頭がいっぱいになってしまっていた。受験期であり、野球で迷っていたりもした。だけど、受験よりも野球よりも、Kさんのことが僕の頭の中では最大のスペースを占めていた。

  だからと言って、僕に何ができるわけではない。

  何しろ彼女は、誰もが美人と認めるタイプだし、なんと言っても、野球部の先輩のYさん(すでに卒業していたけれど)と付き合っているのは有名で、Yさんは高校を中退してしまうくらいの札付きのワルでもあった。ちょっかい出そうものならば、野球では僕はYさんに一目置かれていたとはいえ、それでもそんなのは過去のことで、どういう目に遭うかわからない。

  でも、僕の性欲は、何もしないで、この思いを処理することができなくなっていた。

  僕は、彼女の家に行くようになった。

  湖の土手の下にある一軒家の彼女の家に。

  もちろん、家の近くに行くわけではない。少し離れた小さな丘に行き、遠くから彼女の部屋を見た。気持ちは「グレート・ギャッツビー」でジェイ・ギャッツビーが対岸のデイジーの家を見ていたかの如く、だったけれど、実際はただの覗き屋かストーカーか、あるいはその両方かだった。

  実際、正直、何も見えなかった。双眼鏡を持って行ったわけでもない。彼女の部屋を知っているわけでもない。でも、僕はそうしないでいられなかった。もしかしたら、ふとしたことで彼女がベランダに出てきて、神風のような邂逅があり、僕と彼女は結ばれるかも知れない、その間にある様々なファクターがなんであるのかは想像もつかないけれども、そんなことを妄想していた。妄想している限り、僕は、その可能性に浸ることができた。そして、その可能性の湖で泳ぐ限り、僕は何がしかの充足感を得ることができた。 



 冬の夜が迫ってくると家に戻る。戻ってから感じる罪悪感というか、自己嫌悪感というか、これは辛いものだった。毎回毎回、自分を責めた。こんなことをするなんて自分は最悪だ。卑劣だ、生きている価値がない。そもそも、こんなことをしていることを彼女が知ったらどう思う? いうまでもなく、僕をおぞましいものと思うだろう。

  そう思うと、胸がとてつもなく苦しくなる。自分なんか生きている価値がないんじゃないか、と思う。そして、体ではなく、内臓のどこかが震える。髪の毛に白髪が明らかに多くなり、抜け毛も目立つようになる。


  僕は、そんな時に、ラグビーに出会った。


  僕は必死に僕の中のおぞましい自分を隠してきた。あるいは、それは世の中の多くの人がしていることかも知れない。しかし、16歳の僕には、自分だけがこのようにおぞましい人間なんだ、と思えた。

  そして、高田の事故は、僕のおぞましさゆえに引き起こされ、僕のおぞましさをさらに上書きしていく出来事に思えた。 

inokichi`s work(ラグビーとライオンズと小説)

自分の中には、自分の言葉では表すことのできない自分がいる。でも僕は、その自分を抉り出し、その自分を白日の元に晒さなければならない。あるいはそれは僕自身を破滅に追い込むのかもしれない。しかし、あるいはそれは、世界を救うのかもしれない。 サイトのフォローをいただけると、とても嬉しいです。コメントをいただけると、真剣にお返事します。

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