あかねいろ(50)僕の心の中にいる、もう一人の自分について

 小学4年生の時、僕はどうしても欲しいゲームの攻略本があって、それを万引きした。

 お小遣いを持っていき、1冊は自分のカバンに入れ、もう1冊は手に持ち、レジに行きお会計をした。誰にも気づかれないように、顔にも全く気配を出さずに、完璧に演じ切れたはずだった。しかし、店主と思しきその男は、僕のカバンを取り上げ、抵抗する僕の手を振り解きカバンの中から本を出す。僕は硬直する。

 高田の状態を聞いた僕は、2度目の硬直をする。

 体の自由が効かない。

 誰かが僕の脳をコントロールしている。どこかで誰かが僕の脳に、体が動けないように命令を下している。そしてその誰かは、代わりに僕の脳に、映像を流し始める。

 万引きをして店主に捕まり、家に電話をされる。親が迎えにくるまでの間に、僕は自分の人生のこの先を想像する。

 僕は警察に捕まるのだろうか。警察に捕まって、それが学校のみんなに知れ渡り、僕はみんなから軽蔑される。そして、どこに行っても、誰と会っても「万引き男」として扱われ、嫌がられる。親は僕に期待をかけるをのやめる。成績も良く、運動もそれなりにできた子供だったのに、その人生に対しての期待が一気に引いていく。そして、僕を厄介者扱いし、いつも、自分たちの財布からお金が抜き取られないかを心配するようになる。弟はどう思うだろう。親は弟にこのことを話すだろうか? 話そうが話すまいが同じだ。いずれ弟にも話は伝わる。彼は僕を疎み、軽んじるだろう。そして、馬鹿にするだろう。友達はどうだろう。野球の仲間はどうだろう。僕は、野球チームに居続けられるのだろうか? 

 全ては、真っ暗な穴の底に投げ捨てられ、もう2度とそれらは戻ってくることはないように思えた。僕には何もなくなった。いや、無くなったどころか、犯罪者のレッテルがおでこにはられ、それを一生貼りながら生きていかなければならない。

 親に会いたくなかった。できれば今、この場から走り出して、もう誰にも会わないように何処かに行ってしまいたかった。僕は、こういう時の親の心情を察せるくらいには、十分に成長していた。父と母の心を思うと、申し訳なくて、申し訳なくて、もう消えてしまいたくなった。万引きをした僕の人生は、もうないも同然だから、だったら、僕が居ないことが、親にとっても最も良いことのように思えた。

 店主が何かを僕に話している。しかし僕は何も答えられない。何もわからない。僕はただただ、どうすればこの場から消えることができるのか、それしか考えられなかった。それが、僕の人生の最後に残された、ただ一つのことに思えた。だから、体はみじろぎひとつしない。する必要がない。

 現実はだいぶ違うところにあった。小学生の小さな気の迷いの万引きなど、どこにでもある話で、僕も親も平謝りしていて、しかも初めてのことでもあるし、店主も責めるよりも、慮ってくれるくらいで、「学校にも警察にも言いませんので、しっかりご家庭で話してください」ということで終わった。

 帰り道は、急な登り坂だった。

 何度も何度も通っている登り坂だけど、この日は平坦のようだった。全く気にならなかった。父親は、帰り道に、テイクアウトのお寿司屋さんでお寿司を買った。そして、家に帰ってから、母と何かを話してから、弟も交えてみんなでお寿司を食べた。

 しかし、僕は嘘をついた。

 僕は、今日が初めてだと言ったけど、本当は初めてではない。それどころか、何度も何度も万引きをしていた。10回はいかないけれど、それに近いくらい。だから、常習犯で、つかまらない気になっていた。そのことは、嘘をついた。1度だけだ、と。泣いて謝った。そして、そんな僕を信じたのか、優しく接してくれたみんなを欺いた。全身で謝り、声で泣き、そして心の中では安堵していた。

 僕は自分の中に得体の知れないおぞましい生き物がいる。そのことをこの時感じた。そして、その生き物は確実にまだ、僕の中にいる。彼は言う。

「高田の事故はお前のせいじゃないし、それよりも自分が犠牲にならなくてラッキーじゃないか」

彼はさらに語りかける。

「これでまた、お前にレギュラーが戻ってくるさ」

僕は首を横に振る。そんなことは思わない。思ったこともない。僕はそんな人間じゃない。

「そうかも知れない。でも、お前は嘘つきだよ」

inokichi`s work(ラグビーとライオンズと小説)

自分の中には、自分の言葉では表すことのできない自分がいる。でも僕は、その自分を抉り出し、その自分を白日の元に晒さなければならない。あるいはそれは僕自身を破滅に追い込むのかもしれない。しかし、あるいはそれは、世界を救うのかもしれない。 サイトのフォローをいただけると、とても嬉しいです。コメントをいただけると、真剣にお返事します。

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