あかねいろ(48)病院への道

 高田の意識は戻らなかった。明確に呼吸はしているし、頭蓋骨を骨折してたりしているわけではないけれど、単なる脳震盪ではないようで、外傷性脳損傷、というようなことを谷杉は言っていた。それがどういう状態であるのかはGoogleで調べてもよくわからなかったけれど、とにかく高田は目を覚さなかった。

 その事実は僕にとって、巨大な隕石が落ちたような衝撃を与えた。

 高田は、僕の代役としての出場だった。そもそも彼の仕事はウイングやフルバックだった。スピードを活かしてトライゲッターとなることを期待されていた。しかし、僕が、緑川学院との試合で乱闘騒ぎを起こし、その後の謹慎期間中にふてくされてゲームセンターで遊び、当面は試合に出れないことになって、それによって高田は急にセンターというポジションで試合に出ることになった。だから、僕が石橋と揉めなければ、ゲームセンターなんかでふらふらととしていなければ、彼の今の状態はないだろうというのは間違いないことに思えた。その事実は事故の発生以来、1秒たりとも僕の頭から離れることはなかった。 


 試合の次の週の火曜日、この日は部活が休みであり、かつ高田が地元の病院に運ばれてくるというので、谷杉や小川さんが見舞いに行ってきた。状態に変化はなく、そもそも長距離を移動させること自体が心配ではあったけれど、移動は無事に済んだということだった。お父さんとお母さん、それと妹さんがいて、みんな言葉はほとんどなくて、静かに高田を見て、頑張れよ、とか、大丈夫だよ、とかの声をかけてきたらしい。お父さんからは、お見舞いに来たことへのお礼、そして、心配してくれることは嬉しいが、こういう状態なので、どういう刺激がどういう結果を起こすかわからないので、生徒の皆さんのお見舞いは避けてほしい、ということだった。お母さんは少し涙ぐんでいたということだった。

 僕は混乱した。

 お見舞いに行って、高田のお父さん、お母さんに謝らないといけない。取り返しのつかないことになっているのが、僕のせいだということを伝えないといけない。でも、お見舞いには行くな、という。冷静に考えればそれは当然のことだった。知識や責任のない高校生が、不安定な状態の高田を、無責任に会いに行くべきではないというのは理解ができた。

 しかし。

 僕はいてもたってもいられなかった。

 僕のせいで高田が昏睡している。これを直接僕に言ってくる人はいないし、周りから見れば、そんなふうには思っていないのかもしれない。しかし、単純な方程式の解のように、高田の昏睡は僕のせい、というのは間違いなない事実に思えた。その思いが僕を支配し、僕の頭の先から爪先まで浸透している。もしかしたら僕は、ただ自分が楽になりたいだけなのかもしれない。犯人は僕なんです。その思いを抱えたまま生きていけるほど、僕の心は強くなかった。



 金曜日の午後、僕は適当な口実をつけて部活を休み(そもそも、金曜日は自主練の日になっている)、一人で学校から4つ向こうにある駅の病院へ行く。駅からは歩いて30分くらい。バスに乗ればすぐだけれど、なんとなく、歩くことを選択する。

 春の雨の匂いのする空模様で、気圧の低さが少し体に軋みを与える。どんよりとした空の下、大きな車線の歩道を歩いて行く。どこかの高校生たちが隊列を組んでランニングをしている。体育館関係の部活だろうか、顔が妙に色白に見える。でも、なかなかのペースを刻みながら、しっかりと隊列を乱さずに走っていく。犬の散歩をしている老人は、彼らが走り去るまで歩道の端に寄る。けれど、迷惑を被っているという感じではなくて、微笑ましく見ているというように見えた。買い物帰りと見える親子は何かひそひそ話をしている。後ろから中学生と思える女子が3人、自転車で僕を追い越していく。何が面白いのか、3人とも大きな声で笑い合っている。

 春のなんでもない風景が、今日はとても無慈悲なものに見える。一体この人たちはなんなんだろう。僕はこれから、自分の罪を告白しにいくというのに、この無粋な人たちの様はどうだ。彼らには、一切の不幸も、一切の心配事もなく、世界は誰にとっても幸福をもたらしているように見えた。

 僕は、病床の高田を想像する。そして、横に立つお母さんの顔を想像する。そこから先にしなければならないことを想像する。しかし、しなければならないことはわかっている。けれど、イメージとして頭に描くことができない。

 まっすぐに、延々と続いた道を右に折れ、上り坂の中腹に病院の入り口が見えてくる。基本的には平らな街なのに、病院はなぜか街の外れの丘の中腹を選んでたっている。もっと建てるのにふさわしい場所はたくさんあるように見えるのだけれど。

 坂道を登り出すと、心が一段と重くなる。坂道は心の中では傾斜が60度を超えるかの如くになってくる。足が上がらない。心も動かない。でも、この心の手触りは経験がある。ずっと昔に。心のどこかに。

 坂道を登りはじめ、病院まで後100メートルもないところで、僕は立ち止まる。そして、病院の窓を見上げる。高田はどの部屋だろうか。高田の部屋はどんなだろうか。個室なのか、それとも何人か一緒の部屋なのか。お母さんはどんな方だったか。見たことはあるのだけれど思い出せない。大体、そもそも、くるなと言われいてるのに、急に行って会わせてくれるのか。ここまで来て急に現実的なことを考える。


 

 結局僕は、その100メートル手前で2分か3分くらい立ち止まり、踵を返す。そして、駅に戻り、近くのコンビニで手紙セットを買い、目についたファミレスの中に入り、高田のお母さん宛に手紙を書くことにした。書きながら僕は自分にいう。必死にいう。「逃げたわけじゃない」と。

inokichi`s work(ラグビーとライオンズと小説)

自分の中には、自分の言葉では表すことのできない自分がいる。でも僕は、その自分を抉り出し、その自分を白日の元に晒さなければならない。あるいはそれは僕自身を破滅に追い込むのかもしれない。しかし、あるいはそれは、世界を救うのかもしれない。 サイトのフォローをいただけると、とても嬉しいです。コメントをいただけると、真剣にお返事します。

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