5月のGW明け、雨の土曜日に、ラグビー部の同期7名で高田のお見舞いに行った。これは、高田のご両親からのお誘いだった。高田の容態は相変わらずだったけれど、良くも悪くも安定しているので、お見舞いに来てもらえるならば嬉しい、ということだった。
病室は最近4人部屋に移ったということだったが、そのうち2つのベッドは使われていず、1つのベッドには年配の男性が寝ているかテレビを見ているのかという様子だった。高田の体には点滴の管の他にもいくつかのチューブのようなものがさされていて、定期的に体を起こしたり、寝かされたりしていた。学校のクラスのメンバーからの千羽鶴が飾られ、ラグビー部からの、みんなのメッセージを書いたジャージも飾られていた。花も多いし、彼の周りには春の賑わいが感じられた。
「みんな本当に気を使ってくれて」
とお母さんは繰り返した。お見舞いのフルーツとか、お菓子とかもいっぱいあるから、私たちでは食べられられないので、ということで一人一人に袋詰めにしたお菓子を逆にいただいた。 高田は寝ていた。顔は恐ろしく透き通っていた。その様子は、寝ているのよ、と言われたら100%そう信じるしかないものだった。苦しそうでもないし、痛そうでもない。傷もないし、体のどこが損傷しているわけでもない。
理由や原因がしっかりわからないままなの、とお母さんは言った。体のいろいろなところの数値はおかしくないので、おそらく問題は脳だろう、と。でも、脳波に異常はあるけれど、昏睡して意識不明な状態が続くようなものではない、と。
お母さんは、高田の症状の話をするよりも、僕たちにたくさんのことを聞いてきた。ラグビー部はどうなのか、新入部員はどのくらい入ってきて、どんな子がいるのか。この前の新入生歓迎の試合はどうだったのか、次の試合はいつなのか。あるいは、文化祭についてもたくさん聞かれた。今年は学校ではどんなテーマなのか、ラグビー部は何をするのか、などなど。お母さんは、その1つ1つの返事をとても楽しそうに聞いていた。
僕は、他の人たちに比べると、どうしても口が重たかった。高田に対しての罪の意識はまだまだ僕の心には大きく覆いかぶさっていた。きっとその分厚い雲は、高田が意識を戻して、元気にラグビーを一緒にできるようにならない限り、形を変えども、なくなりはしない。でも、高田の顔を2ヶ月ぶりに見て、お母さんの気丈な振る舞いを見て、やはり心は少し救われた。そして、僕は、そういう心を他の人たちに知られまいと必死に普通に振る舞うのに必死だった。
病院からの帰り道は、鮮やかな夕暮れだった。もう19時に近いけれども、春の終わりの風は生暖かく、赤みを帯びた日差しは昼の紫外線の刺激を捨て、包み込むように僕らに降り注ぐ。そんなあかねいろの光に包まれて、僕ら7人は駅に向かいながら高田のことを思う。
誰も言わないけれど、でも、誰もが思うことがあって、この素敵な夕焼けの中、誰かがそのことを問いかけてみて欲しいと思って様子を探り合う。ありふれた5月の夕方は、ゆっくりとゆっくりと夏の気配を連れてくる。
でも、この鮮やかなあかねい色の空、夏の入り口の夕暮れは、7人の高校生を無口にしておくには、あまりにも雄弁すぎた。
「高田、意識戻るのかな、いつか」
誰かが赤い空に向かってこぼす。
みんながその言葉の行先を追う。でも、その言葉は、次の言葉を何も見つけられない。赤く照らされた帰り道に放たれたたその言葉は、誰も拾い上げることができない。急に雲がかかり、暗味が増し、ふと冷たい風が通り過ぎる。
「絶対戻る」
僕はその風をこの手で掴み、そして握り潰しながらいう。
「戻らないわけがない」
もう一度いう。小さな雲は太陽から引き剥がされ、また穏やかな夕暮れが訪れる。
「なあ、俺らが花園行けば、高田の意識もきっと戻るんじゃね」
一太が言う。その言葉の理屈は通らない。でも、ラグビーも、人生も、理屈じゃない。
「いいじゃん、それ」
立川がいう。普段はクールぶってカッコつけているくせして、意外と熱い。
「花園行ったら、高田の意識が戻る。俺もそう思う」
立川が続ける。みんながうなずく。僕は例によってまた、泣きそうになる。
「吉田、いくぞ、花園。俺らが引っ張るぞ」
一太が言う。僕は、小さく頷く。ごめん、小さく頷くしかできない。でも、僕は、今、お前たちに無茶苦茶感動しているんだ。一緒にラグビーをやっているお前たちに、こんなに感動して、言葉にならないんだ。だからごめん、言葉が出ない。
でも、僕のその言葉は、言葉ではない別の形でみんなの心に届く。きっと届いたはずだ。
絶対花園に行くんだ。来年じゃない。今年だ。そう強く誓った。
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