高田のいる病院の駅のホームに立ち電車を待つ。
この駅のホームには見覚えがある。1年と少し前、高校受験の後に野球の体験入部に行き、あまりの力のに、絶望して電車を乗り過ごし、降り立ったのがこの駅だった。あの時も、人生、もうどうにでもなってしまってもいいかな、という風が吹いていた。あの時は、冬の夕方の茜色が鮮やかだった。その深い橙色の中で、自分のグローブを見つめていた。そして、野球をやめようと思った。
僕はラグビーをこのまま続けていていいのだろうか。
僕は思えば逃げてばかりいる。
野球で上のステージの世界に行こうと思ったけれど、結局そこに挑戦することから逃げた。今日だって、しっかり自分のしたことを伝えようと思ったけれど、結局逃げた。そんな僕なんだから、前向きには取り組めない気持ちになっているラグビーだって、逃げていいんじゃないか、と。
いや、逃げるんじゃない。いつだって僕は逃げているんじゃない。そこには、合理的な理由、僕だけが勝手に納得できる合理的な理由があった。もちろん、人はそれを言い訳、というのだけど。
今の僕には、明確にラグビーをやめるべき理由がある。自分の身勝手な振る舞いで、人一人の命を危機に陥らせている。僕が思い上がったことをしていなければ、高田はこうはなっていない。100%僕のせいだ。だけれども、僕には何もできない。直接謝ることすらできない人間だ。
そんな人間に、このスポーツを続けている資格があるのだろうか?
高田への贖罪のため、チームのみんなのために、そしてラグビーというスポーツのために、僕のような人間はいない方がいいのではないか。
電車が来る。でも僕はまた一本電車をやり過ごす。こうしてこのホームで深い藍色と灰色の合わさった、夜の入り口に立つことで、何かの啓示が下りるのではないかと期待する。あの黒い淀んだ雲たちの向こうにあるだろう、真っ赤な太陽が、僕に何かを示してくれるのではないかと期待する。
15分くらいが過ぎ次の電車が来るまで、僕はベンチに鞄を置き、西の方を見る。その目は何を見ていたのか。僕は、自分がラグビーをやめるべきだというその思いを、誰かに否定して欲しかった。強く、強く、強く、否定して欲しかった。お前はラグビーを続けるべきだ、と。
しかし、声は僕には届かなかった。誰からも、どこからも。
次の電車に乗る。いつものように、高校生が少しいるだけで混んではいないけれど、座席には座らない。座席に座るのは僕には相応しくないように思えた。窓際に立ち、おでこの右側をガラスにつけながら、車窓からの映像をぼんやり眺める。
ラグビーってなんなんだろう。
僕にとってラグビーってなんなんだろう。
もう、そんなことどうでもいいような気もした。その一方で、どうして僕はラグビーをしているんだろう、とも思う。それも、こんなに拘って。初めて1年足らずのこのスポーツは、僕にとってなんなのか。
テレビで見た大学の試合の劇的な結末。初めて練習に行って、コンタクトダミーを持って吹っ飛ばされた時のあの感触。デビュー戦でトライを3つとったこと。その3つ目のパスをくれた東田さんのこと。トライをなぜか譲ってくれた。対抗戦では僕の持ちすぎで3年生の最後の対抗戦をふいにしてしまった。栂池での合宿の日々。文化祭、大元さんたちとの最後の試合、それを見に来てくれた沙織。福田という圧倒的なプレイヤーを目にしての絶望感。苛立ち、石橋。
なんでだろう、その1つ1つを思うと、ただ思い出すだけで涙が出る。じわりじわりと目が熱く流なる。この気持ちはなんなんだろう。初めて1年、下手くそで生意気な1年間、何かが僕の心の奥にしっかりと存在している。そして、それは、僕によってもたらされたものではない。
目の前を何かが横切る。
電車はすでにしっかりと夜になった郊外を走り続ける。
そう、全部のことが、僕ではない人によって支えられている。僕一人で成り立っていることは一つもない。いや、それどころか、僕は、ラグビーをしている時、いつも誰かに、みんなに支えてもらっている。迷惑かけたり、足をひっぱたりばかりしながらも、なんとかみんなが僕を支えてくれている。いつも罵詈雑言ばかりの谷杉ですら、いや彼が一番かもしれないが、至る所で僕を支えてくれている。
僕が何かをミスした時、何かをやらかしてしまった時、あるいはやりすぎたりしてしまった時、それをあげ足とったり、突き放したり、貶めたりする人が1人もいなかった。一人一人とれば、普通の高校生たちだし、普段はなんともだらしない奴も多い。(もちろん自分もそのうちの一人だけど)でも、一緒にラグビーをしている限り、彼らは誰もがナイスガイに見える。自分のことよりも、僕のことを優先して、僕を支えようとしてくれている。彼ら自身が犠牲となり、僕を支えてくれている。もちろん、それは僕に対してだけではないのだろう。
ラグビーはボールを持った人が、そのチームの最前線に立つ。
そのボールは、決して前に投げることはできない。後ろへ後ろへとしか繋げない。
そして、そのボールを相手は奪いに来る。タックルをする、ジャッカルをする。だから、ボールを持っている人間が、一番初めに考えるべきなのは、いかにこのボールを、みんなのために活かすかということであり、自分が自分がと進んでいき、ボールを奪われるようなことは絶対に避けないといけない。だから、ボールを持っている人は、チームのためにそのボールを生かそうとする。一方で、ボールを持っていない14人は、全員でボールを持っている一人を支える。指示を出す、フォローする、捕まった後のポイントにしっかり入りボールを生かす。一人のために、全員がサポートをする。そのサポートを怠る人が多いチームは弱く、ボールを持っていない14人が献身的にサポートするチームは強い。 その思いを表す言葉が、one for all , all for one. で、この言葉はラグビーの精神を表す言葉だし、ラグビーのプレーの基本姿勢を表すものだと感じる。
そう思うと、僕はラグビーというスポーツそのものに苦しい思いになる。そのすばしいスポーツのもたらしてくれているものに、どれだけ自分が甘えているか。自分は何にもできていない、支えられているだけで、自分はただただわがままで意気地なしなだけだ。誰の支えにもなってない。僕は「自分が自分が」としゃしゃり出て、チームの統率を乱しているだけの存在に思えた。
ラグビーについて考えれば考えるほど、そこは、僕のような人間のいていいところには思えなくなった。
だったらやめてしまおう。それが、これまで僕を支えてきてくれて、この先ももしかしたら同じように僕から迷惑を被るかもしれない人たちにできる最善のことだ、きっと。そう思う。
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