あかねいろ(18)帰り道の上り坂

  初日は13時過ぎから練習が始まり、最初の練習ですでに、片道70mくらいのランパスを20往復した。お盆を過ぎたとは言え、いわゆる尾根と谷の、谷の方にあるグラウンドは、水分と草いきれをたっぷり含んだ空気が流れ、風がないとまとわりつくようなな蒸し暑さで、もうこの段階でみんな頭から水をかぶる。ランパスの後はFWとBKに分かれての練習になり、FWは見ているだけでも辛そうな姿で、延々とスクラムを組んでいる。バックスはまずはコンタクトを使ってのタックルと密集の練習、それからキックチェイス、さらに3対2を合わせて2時間ほど。客観的に見れば、FWに比べるとずっと寛容なメニューに見える。

  最初のまとまった休憩は15時半頃で、その時点ではもうかなり絞り切られた感があって、これから何やるんだろうということを思うと、どんよりと暗い気持ちになる。

  休憩の後は15人での展開を相手をつけずに練習する。

  4本のラインができ、順々にサインプレー、ラック形成、サイドアタック、キックチェイスなどを行なっていく。だいたい自陣10m付近くらいからを想定して、インゴールまで繰り返していく。これはどれだけの本数やったかわからない。そのあとに、ラインの前にコンタクトを持った選手を立たせて同様のことを繰り返す。

  午後4時半を回ってからは、筋トレとランニングが待っていた。これが何と言ってもしんどかった。  筋トレの器具はないので、腕立て、腹筋、背筋に手押し車、ランニングはグラウンドを大回りで5周。おそらく3−4kmくらい。そして、最後にダミーに対してのタックル練習を一人10本ずつやっていく。日が少し傾いてきた感じのある午後5時すぎに、ようやく、「今日はここまで」との声がかかる。



  そこから片付けをして、グラウンド整備をみんなでして、ホテルまで20分。行きは15分くらいだったけれど、帰りは全て上り坂。荷物は、同じものを持ってきたとは思えないほど重い。ほとんどの人がジャージを脱ぎ、上半身裸で登っていく。巨漢の深川が隊列の一番後ろで谷杉にどやされながら歩いている。 

   まだ高いところにある日を浴びながら、それでも、高原特有の軽い涼を乗せた風が吹いてきて、関東とは違う空気が流れる。

  練習しているときは、正直、こんなの7日もできるわけがないと滅入っていたが、秋を思わせる風に触れると、なんだか気持ちがみるみる回復してくる。

  谷杉が「おい1年、死んだか」と誰かに言う。「いや生きてます。余裕っす」と誰かがいう。「ガハハハ。早くいけ早く」と谷杉が笑う。

  先頭の3年生から一番後ろまで、かなりの長い列になっている。

  その隊列には、戦場から引き揚げてくるような陰鬱さはない。練習中は、あれほどげんなりし切ったた軍団だったけれど、たったの15分も経てば空気は全く違ったものになっている。

  夏休みにどこに行って、どんな女の子と遊んだとか、来る時のバスの中でのポーカーがどうとか、宿泊所には幽霊が出るとか、そんな話がどこそこで盛り上がる。



    僕はこの帰り道が大好きだ。大好きというか、とても心に残っている。

  栂池のことを思うと一番初めに出てくるのが、この、毎日の、帰り道の上り坂の景色だ。

  死ぬほど絞られた後でも、溢れ出てくる高校生特有の馬鹿騒ぎ。練習中はそれこそもう、枯れ雑巾で、声すら出ないような男たちが、なぜか急に明るく元気になる上り坂。練習の時の苦しさも、体の芯からの疲れも、どういうわけか全く気にならない。明日もきっと辛いだろう練習のことも気にならない。それよりも、こうして体力の限りを尽くしたあとに、みんなで長い上り坂を、ふざけながら歩いていくこの時間、この時間が毎日あればいいのにとすら思う。合宿から帰った後も。人生にはそんな上り坂がってもいい。

inokichi`s work(ラグビーとライオンズと小説)

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