あかねいろ(6)ラグビー部へGO!


  校門の前には大きなくすのきが一本そびえている。樹齢は優に100年を超えると言われ、4月の日射しを浴び、ゆらゆらと黄緑色の葉を揺らしている。悠然としたその姿は、僕たちを見下ろすかのようでもあり、包み込むかのようにも見える。そして、この学校には、校舎が異様に古いという以外に、確かな歴史があるのだということを語りかけてくる。


   入学式の翌日に僕はラグビー部の練習に参加した。中学校時代の野球部の子も2名、同じ学校にいて、彼らからは、野球部に行こうと言われ、それを断るととてもビックリされた。当然に僕は野球部に行くのだろうと彼らは思っていた。でも「もう野球はやらない」と一言残し、一人でラグビー部の方へ向かった。


   高校のグラウンドはいびつな形をしていて、2つある校舎の、より古い方の建物の前にラグビー部のコーナーがーあった。文字通り、コーナー、という形容が正しく、彼らが使っているスペースは、野球部のライトの後ろの方からセンターにかけてを、間借りというか侵食する形で存在した。野球部はその奥で、あおりを受ける形で、ダイヤモンドとレフトからセンターにかけてを使い、そのセンターの一部はサッカー部が使っていた。サッカー部も、専用で使っているのはサッカーコートの半分程度だった。野球部のレフトの奥には1週400mの土の陸上コースがある。陸上コースのインフィールドは一応各種陸上競技の様相だが、雑草が生え茂り、荒れ放題という感じだった。野球部のダイヤモンドの左奥にテニスコートが2面あった。

 「ラグビー部はまだ出来て8年だ。俺がこの学校に来て作った」

 監督を務めているという谷杉は言った。元々グラウンドは、野球部とサッカー部で占有していたところを、割り込む形でラグビー部が入り込んでいる。そのため、練習日も運動部としては珍しく平日は、週3回しかない。そして、ラグビーのポールもなければ、ラグビー部が集まるための場所もない。

  西校舎の前にコンクリート作りのおどり場があり、そこにラグビー部のメンバーは道具などを置いていて、僕らもそこに集合した。初日に集まったメンバーは8人。実にその半分が中学校では野球をやっていた。同じクラスの立川、深川、そして坊主頭の一太。そのほかは、サッカー部が2名で、陸上とテニスが一人ずつで、ラグビー経験者は一人もいなかった。深川と一太は明らかに100キロ以上はあるだろう体型で、立川はずんぐりむっくり、僕より背の小さい子も3人。まとまりはまるでない、てんでバラバラという感じだった。


   集まった時から、同じクラスの二人を除けば初対面だったけれど、話はすぐに弾んだ。まず真っ先に話題になるのが、「中学の時何やっていた」と「なんでラグビー部」というところで、一人一人がそれを話していった。聞くと、それなりにみんな中学時代の部活では頑張っていて、野球では対戦したことのある学校もあり、県大会の常連校とかもいた。テニスの子は埼玉県で個人で8位になっていた。


   どうしてラグビー、というのは結構いろいろな思いがあった。僕はなんとなく、野球よりもラグビーがいいかなと思ったという程度でしか話していないから、みんなが話した内容もどこまで本当かわからない。深川と一太は体がでかくて、なんと合格発表の日に谷杉に「お前は絶対ラグビー部に来い」と命令されたと口を揃えた。立川は同じ学校の先輩がいるからと言い、テニス君は「なんとなく」といっていた。先輩に勧誘されて仕方なく、というような子も何人かいた。

inokichi`s work(ラグビーとライオンズと小説)

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